

日々のトレードお疲れ様です。
また、ランクインされた方々おめでとうございます。
相変わらずドル円に関しては値動きがあまりない一週間となりましたが、対してユーロドル、ユーロ円はドル円よりも値動きがあり、その分エントリーチャンスも多い一週間となりました。
中にはそのチャンスを逃さず、しっかりと利益を伸ばした会員様もいらっしゃいました。
チャンスを逃さずしっかりと利益が獲得できているのは、きちんと学習を行えている証拠ですので、引き続きその調子で学習を行いつつ、利益を伸ばしていただければと思います。
相場は生き物ですので、誰しも今後の相場がどのようになるのか分かりませんが、チャンスをものにできる方はしっかりと学習という事前準備を行っています。
いくらチャンスが多いからといっても、きちんと学習ができていなければエントリーした分だけ負けてしまいますので、トレードと並行してでもきっちりと学習も行っておきましょう。
何か新しいことを始めたり、何か物事を上達するためには学習を行っていく必要があります。
しかし、ただ闇雲に努力、頑張すればいいというわけではなく、「学習を行いつつ前進し続ける」という事をしていかなければなりません。
まさにこの「学習を行いつつ前進」ということが「自己成長」なわけですが世の中にはこの「自己成長ができない考え方」を持っている方が、案外多くいらっしゃいます。
そこで今回は、FXのトレードスキルの上達にも役立つ「自己成長するための考え方」についてお話します。
努力すれば、頑張ればいいというものではない
FXに関しても同様ですが、世の中のありとあらゆる事象に対して、現在よりも上達しようと考えた際には当然努力や頑張りが必要になります。
しかし、努力した・頑張ったからといって必ずしも上達できるわけではありません。
それは上記したように、努力する・頑張る方向性を間違えていたら現在地点から前進することができないからこそ成長できず、上達できずに停滞してしまうからです。
だからこそなにか新しいことを始める際、またそれを上達させる際には「努力した」「頑張った」ということよりも「どれだけ成長できたか」が重要になります。
もちろん、何もしなければ新たに物事を覚える・上達するということは不可能ですので、ある一定程度の「努力」「頑張り」ということは必要になってくるわけですが、決して「努力・頑張りの量で決まる」ということではありません。
逆に考えれば「効率よく自己成長することができるのなら、努力や頑張りは最小限で済む」ということにもなります。
つまりFXに限らず、日常のすべての事柄において現在よりも上達しようと考えた際には「いかに成長するのか」ということや「どのようにしたらより成長できるようになるのか」という点が重要ということになります。
より確実に成長する為の考え方とは
上記したように、物事の上達には努力・頑張りの量に依存するわけでは無く、「如何に成長するか」にフォーカスを当てたほうが良いと言った話を上記でお伝えした訳ですが、ではどのようにしたらより成長できるよう努力・頑張りを行っていけば良いのか。
これには「成長するための考え方」が必要となりますので、その考え方をインプット、もしくは時たま思い出しながら学習する事で、より確実性が高い成長を行っていくことができます。
なぜ「考え方が必要なのか」という点に関しては、我々人間は各々の考え方によって「言動が変わる」という生き物ですので、「考え方を変える」または「新たな価値観の考え方を自分の中にインプットする」ことで、自身の行動の変化に繋がっていきます。
「効果が出ない努力や頑張りをとにかくやる」という考え方から「効率よく、より確実性の高い方法でやる」という風にシフトチェンジしていくということです。
この成長に関する考え方に関しては下記でいくつかピックアップしてご紹介しますので、是非参考にしてみてください。
①主観目線ではなく客観的事実で見るべきという考え方
上記で「何か物事を上達したい場合は努力や頑張りの量で測るではない」といった話をしましたが、「なぜ努力や頑張りで測るべきではないのか」という具体的な答えが、この「客観目線で見るべき」という考え方です。
これは容易に想像できるかと思いますが、
・これだけ努力したのに
・これだけ頑張ったのに
という感想は「あなただけが感じている主観目線での話」でしかありません。
つまり、いくらあなたが「努力した」「頑張った」と感じていたとしても、他人から見れば「全然じゃん」と思われている場合もあります。
もちろん逆に、あなたが「努力していない」「頑張ったほどでもない」と思っていたとしても、他者からはそう見えない場合もあります。
上記の差というのは自分自身の目線から見える「主観」と第3者目線からの「客観」にズレがあるために起こっている訳ですが、これは自分と相手の能力によっての差によって生じています。
例えば仕事なんかを例にすると分かりやすいと思うのですが、あなたが1時間かけてやる作業に対し、その作業を10分で終わらせられる人と10時間で終わらせる人がいたとした場合、それぞれのあなたに対する客観目線は以下のようになります。
・10分の人 「時間かかりすぎ、もっと頑張れよ、サボっている」
・10時間の人 「めっちゃ早く終る、頑張っている、凄い、優秀」
このように受けてのあなたと受け手の能力の差異によって、上記のように全く評価が変わってきます。
上記からわかるように、主観目線というものはあくまでも自分が思っているだけのものであって、受け手によって左右されるような非常に曖昧な基準となります。
だからこそ、自己成長の為の判断材料として曖昧な主観目線を使うべきではないのです。
ただし、人は他者の目線に完璧に立つことはできませんし、他者の評価も曖昧なことから「客観目線で見るべき」というのは「第3者の目線」という客観視点ではなく、客観的事実である「数字」となります。
数字は「誰が見てもその数字の意味」にしかならないからこそ、自己成長の為の学習に置いての判断としては数字を使うべきなのです。
例えばFXで言うなら「pips数」「利益の金額」「勝率」「前月比」などなど多数の数字がありますので、そういった部分の数字から「自分は果たして成長できているのか」という部分を確認しながら学習を進めることができます。
成長できているかどうかの確認をしながら学習できるということは、すなわち軌道修正を行いながら学習を行うことができるので「間違った努力、頑張り」を減らすことができ、かつそれに対する「無駄な時間や労力」も削減できます。
ですので「主観目線ではなく客観的事実で見る」ということは、自身の成長に対して非常に有効な考え方となるのです。
②過程(プロセス)を楽しむという考え方
これは上記の「客観的事実」の話」と関連するのですが、基本的に成長できない、もしくは成長が遅いという方は主観目線で物事を判断しています。
つまり「客観的事実に目を向けることができていない」ということになるのですが、その場合は「過程(プロセス)」という客観的事実を確認できていないからこそ、学習に対する意欲が薄れるといったマイナス要素を生み出します。
これは山登りで考えると分かりやすいと思うのですが、例えばあなたが山登りをしており、山の中腹辺りで「疲れた」という感情を持っていたとします。
この時、自分はまだ中腹におり、目指すべき山頂はまだ半分以上あるわけですが、その状態で主観目線でものを見た場合
・疲れているし、山頂まではまだ半分以上ある
という感情をいだきます。
そうした感情がもたらすのは「もう帰りたい」という感情でしかなく、最終的に「もう山登りなんて懲り懲りだ」という感情を抱く可能性があります。
しかし上記と同じ状況の場合で、かつ客観的事実を見るという考え方ができており、かつ「過程を楽しむ」事もできていれば
・疲れているし、まだ山頂までに半分以上あるけど、山頂まで半分以上のところまで来れた
となります。
このような感情の場合、仮に山頂まで登れなくても「山頂まで半分以上のところまで来れた」というプラスの感情があるからこそ、「次回はもっと山頂に近いところまでチャレンジする」という感情になり、次回はさらにより高みを目指すことができます。
要は「過程を楽しむ」ということは、「過程という客観的事実を確認し、それによって自分がどこまで行けたのという達成感を味わうことによって、学習に対するモチベーションを維持する」という効果をもたらすことができるということになります。
人間誰しも嫌なことからは逃げてしまいがちです。
常人離れした忍耐力があるのであれば別ですが、そうでない方が大多数だからこそ、学習に対するモチベーションを落としてしまいかねない状況を作るということは、すなわち学習の継続が困難になるということになります。
「以前は全く分からなかったけど、今はこれだけ理解できるようになった」といったような形で自身の学習の過程を振り返りつつ学習を行うことで、明確に客観的事実として自分がどれだけ成長できたかという事が把握できるようになり、それによってモチベーションが維持でき、継続的な成長に繋がっていきます。
諦めた瞬間に成長は止まってしまいます。
ですので、上記のような継続的な成長をするために「過程(プロセス)を楽しむ」という考え方が重要になるのです。
③失敗を糧とするという考え方
発明王トーマス・エジソンが「失敗は成功の母」という言葉を残しているように、自己成長にも「失敗を糧とする」という考え方が非常に重要になります。
基本的に誰しも「失敗」はしたくないものですが、我々人間は完璧な存在では無いからこそ、誰しも失敗をします。
ですがその「誰しもする失敗」を認め、それを糧にできない場合は「失敗はしたくないけど、してしまった」という事を感じた瞬間に自己成長に繋げる事が事実上不可能となる可能性があります。
なぜ自己成長に繋がらなくなる可能性があるのかという点は「認知的不協和」が関係しています。
認知的不協和とは「2つの要素が矛盾する場合、その矛盾を解消しようとする」という社会心理学用語の事です。
上記の例で言えば「失敗したくない」「失敗した」という2つの要素が矛盾していることから認知的不協和が起こり、「片方の要素を変更」や「新たな要素の追加」をして矛盾を解消しようとします。
その場合、具体的にどのような形かというと
【「失敗してもいい」に変更】
・別に失敗してもいい、最初からそう思っていた
【「失敗していない」に変更】
・教科書や参考書が分かりづらい、自分は失敗していない
【要素を追加】
・失敗したけど〇〇が勧めてきたから俺は悪くない
といったような形です。
上記はあくまでも例ではあるのですが、認知的不協和が働いた場合は上記のような「言い訳や責任転嫁」に繋がりかねません。
当然言い訳や責任転嫁をしてしまってはそれ以上の成長は見込めなくなります。
成長するためにやっていたはずなのに、成長が見込めなくなってしまうという事態にならないためにも「失敗を糧とする」という考え方が必要になる訳です。
特にプライドの高い方こそ「失敗を認められない」という傾向がありますので、そういった方は「そもそも人間は完璧じゃない」という点に戻り、失敗を糧にして成長していただければと思います。
自己成長できない人間にならないために
なにか新しく覚えたり、何か物事を上達するためには「自己成長」が必要です。
しかし我々の言動をコントロールする「考え方」が、自己成長できるような考え方になっていなければ、どんなに努力したとしても、どんなに頑張ったとしても結果をもたらすことはできません。
せっかく努力して、頑張って自己成長しようとしているにも関わらず、考え方一つで自己成長できない事は非常にもったいないことですので、今回は自己成長するための考え方を3つピックアップして紹介させていただきました。
人間に癖があるのと同様に考え方にも癖があり、いきなり今すぐ考え方を変えるということはなかなか難しいですが、何度も何度も意識することで徐々に自分の中に浸透していきます。
面倒だとは思いますが、上記したように考え方一つで結果が変わりかねませんので、現在上記した3つの考え方ができていない方は、今後意識して上記の考え方をインプットしていきましょう。